【旧陸軍火工廠の模型】
開設30周年を迎える上福岡民俗資料館では、4月から旧陸軍火工廠の模型(写真)と関係する実物資料を常設展示しました。
旧陸軍火工廠は、昭和12年から20年にかけて、大日本印刷から福岡中央公園までの広大な敷地にあった陸軍の弾薬工場でした。今年3月まで操業していた日本無線敷地内に火工廠当時の建造物が残っていたことから、足立は、昨年12月の一般質問で、「日本無線敷地内にある防爆壁を戦争史跡として保存すべき」と提言しました。
これに対して生涯学習部長は「現物保存は難しい。調査し、資料で残したい。しかし、火工廠の模型は上福岡歴史民俗資料館に常設展示する」と答弁していました。
この模型は、平成15年、教育委員会が平和事業の一環として現存する資料や調査をもとに、工場全体を500分の1に復元したもので、これまで、葦原中学の空き教室に置かれてたものです。【火工廠内にあった給水塔】
これは、戦時中に使われていた給水塔で、10年前まで上福岡市民の水道水供給に使われていたものです。旧上福岡で、浄水場を拡張した際に使用しなくなり国に返却され、現在は跡地にマンションが建っています。この給水塔はそのフォルムも珍しく、戦争史跡を平和のシンボルとして残そうという運動があり、足立も給水塔保存の会に参加し、署名運動に走り回りました。当時大蔵委員会に所属していた矢島つねお衆院議員とともに関東財務局に協力要請に行きました。関東財務局からは協力する旨の連絡がありましたが、武藤市政はその申し入れを受け入れることなく、給水塔は取り壊しになったのです。その代わりに市が作ったのが、給水塔と火工廠全景の模型というわけです。
今回の展示に当たり、担当者は「新河岸川の舟運と並ぶふじみ野の画期をなす資料として、これらの模型を大事にしていきたい」と話していました。
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